枯渇
今週のお題「今だから言えること」
母の愛に飢えていただろう当時の自分を思い出す。
母は長女の私をしっかり育てたかったのだろうか、
弟より幾分辛く当たられていたなぁと思う。
私はおしゃべりでませた子どもだったので、母からしたら生意気でうるさい子供だったのだろう。
自分も弟と同等に目に見えた形で甘やかして貰いたくていろいろした記憶がある。
それは全部母にとっては裏目だったのだろうね。
私が必死で繋いだ手を振り払われたことを今でも鮮明に覚えている。
今でもそれはトラウマで、思い出すと必ず涙が出てしまう。
母の前で私が自由な気持ちになれたことはおそらく一度もない。
いつも顔色を伺っていた。
愛されたかったから。褒めてもらいたかったから。
全部無駄だったけど。
勉強が出来たって、なにかの賞を取ったって、庇護され愛されるのは異性である弟だった。
母からしたら無邪気で可愛かったんだろう。子供らしい子供の彼が。
母はきっと女になっていく私に何かしら嫉妬でもしてたのだろう。
氷点のようだ。
思い出は美しいとはよく言ったものだ。
全てを綺麗にとは言わないが、今となっては母に対する報われない悲しかった気持ちは心の小箱に上手くしまわれている。
たまにこうして思い出して当時の自分が不憫で泣けもするが、基本は何かがダメだったんだな。と片付けられるようになった。
私がきっと大人になったんだ。
どんなに頑張ったってダメなことはある。
私と彼女は根本的に合わなかったんだ。
親子だけど。仕方無いことだよ。
母が亡くなった八年前のあの日、私の心は自由になったのだ。母への愛されたかった気持ち、でも何をしても報われなかった気持ちから。
でも、こんなこと誰にも言わない。
誰にも言えないんだ。
だってみんなの前では仲のいい友達親子のようだったから。